1994年生まれ。日本と中国のハーフで、栃木県栃木市出身。
幼い頃から国際的な環境で育ち、3歳のとき父の仕事の関係で家族とともに上海へ移住。
現地の日本人学校でクラスのムードメーカーとして、いつも輪の中心にいるような楽しい毎日を送っていた矢先の小学4年生の夏休み。母の病気が発覚し、友達に挨拶もできないまま急遽日本へ帰国することに。
転校先で待っていたのは、中学卒業まで続いたいじめだった。ルーツが違うことで変人扱いをされ、勉強を頑張るほどに真面目だと叩かれ、仲間外れや嫌がらせを受ける日々。小学生ながらに自分のアイデンティティについて深く悩む日々を送る。
入院生活や手術を乗り越えていた母、単身赴任で多忙だった父、代わりに面倒を見てくれていた祖父母に迷惑をかけたくない、頑張っている姿を見せたい、そんな思いで、いじめの辛さを乗り越えるために勉強や習い事に没頭。孤独感や“自分は愛されない”という無力感とともにあったこの時期が、人格形成に大きな影響を与える。
ストレスがかかる日々の中でも、心のどこかで(私がもっと輝ける世界はあるはず!だから今はできることを全力でやるだけ。)という希望をずっと持ち続けていた。
中学校では生徒会長になり、卓球部ではキャプテンとしてチームを関東選抜大会まで導き、10年続けたピアノから絶対音感を手に入るなど、自分の価値を証明するために、そして居場所を作るために他者評価や期待に応え、親や先生に褒められるようにただひたすら頑張り続けていた。
そして、自分のために頑張る努力だけは自分を裏切らないことを実感するようになったことで、どんなに厳しい状況でも自分を奮い立たせることを学び、逆境力を身につけていった。
いじめが最もエスカレートした中学3年生の時には、円形脱毛症や心因性失声症を経験するも、「出る杭が打たれるなら、人間力も備わった出過ぎた杭になってやる!」という信念が芽生え、人への思いやりや愛の大切さを自らの価値観の中心に据えるようになる。
その後、環境が変われば自分の人生も変わるはず!と信じて高校から家族とともに東京へ引っ越すも、再びいじめを経験。自分の進路を変えるほど依存していた恋人から突然振られた高校3年生の冬に、やっと目が覚める。
自分は今まで誰のための人生を生きてきたのか。外側に愛や価値の承認を求めるばかりで、自分の価値を一番否定していたのは自分自身だったのではないか。自分がまずは自分を愛せないと、一生このサイクルは終わらないのではないか。
そんな稲妻が体に走り、根本から人生を変えることを決意。そして、(自分には無理)と諦めていた難関私大の大学受験に残り3ヶ月というタイムリミットの中挑戦することを決断。
最終的に、ずっと信じて支えてくれた恩師のおかげもあり、第一志望だった明治大学国際日本学部に見事合格。当時の特進クラスで11名第一志望者がいた中、唯一の合格者となった。
この成功体験を通じて、自分の成功パターンを知ることの大切さや、自分の可能性を信じることの重要性、目的意識を持って前進すること、自分以上に自分のことを信じてくれる人が周りにいること、勇気を持って行動することの重要性を身をもって学ぶ。
大学入学を機に、外側ではなく自分の内側から改革をして人生を変えることを決め、①人の悪口は絶対に言わない ②常に前向きでいる ③常に笑顔でいる という3つのマイルールを策定。
そして、視野を広げて自分がより自分らしく生きれる世界線を知るために、ハワイにて留学と有給のインターンシップを経験。多様な文化や価値観に触れたことで世界が大きく広がり、ありのままの自分で愛されて輝ける環境がこの世界にはあることを実感。この経験が大きなターニングポイントとなり、「全ての人が本来の自分の魅力で輝き、愛と思いやりに溢れた優しい世界を作りたい!」という想いが芽生える。
”自分は何かが人とは違う。でも、ユニークに生きて何が悪い!社会の常識なんて関係ない。この経験と自分の才能を活かして自分にしかできないことを見つけよう!”と思い就職活動を蹴る。
そんな時、外資系のエアラインに応募しようと英語で履歴書を書き、応募しようとした前夜に、留学中に出会ったアメリカ人から突然連絡が。
候補者の人脈はなかったものの、直感で(これは私にしかできない仕事だ!)と根拠のない自信を感じ、想いと伝えたところまさかのヘッドハンティングを受けることに。
とんとん拍子で話が進み、大学卒業と同時に初の日本人、初の未経験者、最年少でアメリカのコンサルティング会社に入社。
7年半、サービスベースのセールス(売らない売り方)を指導する外部コーチ/ コンサルタントとしてマネージャー育成、パフォーマンスの最大限化、従業員満足度を上げる文化作りなどに従事。全ての資料の翻訳や通訳も担いながら、外資高級ホテルや某世界的テーマパークとのパートナーシップを日本人一人で担当。数多くのクライアント先で、開業史上最高額や歴史上最高額の売り上げといった成績を残す。
人材育成コーチとして人の可能性と向き合う中で、自分の中に眠っている才能に気づいていない人や、自分に自信がなく潜在能力を最大限発揮できていない人を多く見る中で「もっと自分を認めて、自信をつけて、自分らしく輝く人を増やしたい!」という思いが強くなり、個人の潜在能力を開花させるアプローチを追求。仕事での成功を超えて人生そのものが変わり、イキイキとする人が増えていく様子を目の当たりにし、コーチングの絶大な効果に魅了される。
嫌われ者だったところから自分改革をし、絶大な信頼を得て慕われる周りの人のロールモデルへと人生が変わった経験を活かしながら、一人でも多くの人の人生のターニングポイントになりたい!そして、自分の力を本当に必要とする人だけにエネルギーを注ぐ!と決心。
プロコーチとなるために、国際コーチング連盟(ICF)認定のアメリカのスクールに初の日本在住生徒として入学し、コーチング、ポジティブ心理学、NLP心理学を学ぶ。
その過程で自身がコーチングを受ける中で、今の成功した生活を手放すことへの恐怖や、クライアントの元や会社を離れることへの罪悪感、外側のキラキラ見える自分と内側の自分が見ている自分との葛藤で偽善者だと悩んでいたことなどを明らかにしていくことに。
自身がコーチングを通して思い込みを手放して思考を書き換え大きく成長しているからこそ、心の奥の本音と深く向き合い、人生のバランスを整えていくライフコーチこそがこれからの世界に必要な存在だと再認識し、独立を決意。
自分を知れば知るほど、今までの人生で数多くの願望を実現していた自分を再認識することに。そこから量子力学などの学びも深め、この成功法則を言語化して人にも伝えたいと思っていた矢先、現在のメンターである世界トップコーチのShowに出会う。
潜在意識からの書き換え、思考の再プログラミング、マインド・ボディ・ソウルの統合で生まれるゾーン状態で成功する生き方を体得するために、Show氏と億超え経営者の井口晃氏からの直々の指導を仰ぐことを決意。
今では人生の全ての出来事や経験を楽しむマインドを手にいれ、願望実現:マニフェステーションの手法も取り入れながら、多くのクライアントの信頼できるメンター・コーチとして、理想の人生へと導いている。
プライベートにおいて、当時の恋人との結婚が目前に迫った矢先、後にツインレイだと発覚したソウルメイトと運命の出会いを果たす。
自分が本当に心から求める幸せは何かを自問自答し、周りの期待・親の期待・これまでの自分の考え方・一般常識、全てを捨てる覚悟で現在のパートナーを選び、”ありのままの自分で愛される、本音でつながる愛に溢れる世界”を実感することに。
現在ではパートナーとも共に活動し、世界の愛を拡げるYouTubeチャンネルなども開設している。
総自己投資額は1,200万円を越えるYURIが、選び抜いた本質の知識・智慧・経験を詰め込んだ完全オーダーメイドのコーチングセッションやグループ講座は唯一無二。
明日が約束されていないからこそ、今日という日を輝かせる。
一度しかない人生だからこそ、自分の可能性を諦めず、次元の高い世界で堂々と輝く。
誰かの人生ではない、自分の正解を生きる勇気と覚悟を持つ。
【脳と心のパイロットになり自分に誇れる人生を】
このビジョンや、コーチ自身が体現している理想世界、そして唯一無二の”生きるパワースポット”にと言わんばかりのポジティブなエネルギーに共感するクライアントを、日々勇気づけている。